ダウダ・ペーテルスの復帰劇から考える、ユベントスと選手育成

ユベントスNext Gen
sporza

セリエCに所属するユベントスのBチーム、ユベントスNext Gen。
このチームには、原則として23歳以下の選手しか登録できないという年齢制限があります。
しかし、この例外として、24歳以上の選手を登録できる“オーバーエイジ枠”が4名分だけ認められており、若いチームを支えるベテラン選手がこの枠を担います。
これまでにも、30代のMFシモーネ・イオコラーノFWアンドレア・ブリゲンティなどの経験豊富な選手がチームの精神的支柱として貢献してきました。

2024/25シーズンも同様に、DFファブリツィオ・ポーリDFフィリッポ・スカーリアFWシモーネ・グエッラといったベテラン選手が若手を引き締める存在となっています。
そして、このシーズンにはもう1人、特異な存在がオーバーエイジ枠で登録されています。
その選手こそ、かつて“ユベントスのトーマス・パーティー”と称されたMFダウダ・ペーテルスです。
本記事では、彼の波乱万丈なキャリアに迫ります。

順風満帆なキャリア

HLN

ギニアのカムサールで生まれたダウダ・ペーテルスは、幼い頃にベルギーの家族に養子として引き取られ、ベルギーで育ちました。
ダウダが17歳になると、サンプドリアU19が彼を獲得し、イタリアでのキャリアがスタートします。

ダウダは、異国の地でプレーする難しさを次のように語っています。
「私はまだとても若かったので、それは簡単なことではありませんでした。国も言語も文化も変わってしまいました。」

サンプドリアで1年を過ごした後、ユベントスNext Gen(当時はユベントスU23)へ移籍が決定しました。
当時を振り返ったダウダは、「代理人からユベントスが僕に興味を持っていると聞いたときは、信じられませんでした。ヴィノーヴォとコンティナッサを訪れた後、まるで自分が夢の中にいるようでした。」と述べています。

そして、その才能は着実に評価され、2020年2月のSPAL戦では、当時のユベントスの監督、マウリツィオ・サッリ氏によって、初めてトップチームに招集されました。
同年7月のカリアリ戦では、ロドリゴ・ベンタンクールに代わりセリエAデビューも果たし、プロサッカー選手としての一歩を大きく踏み出したダウダ。
彼は「試合中はあまり考えられませんでしたが、試合後は本当に素晴らしい気持ちで胸が溢れました。ユベントスのようなビッグクラブでデビューするのは夢でした。」と語っています。

その後、ユベントスではトップチームで出場機会を掴むことこそできませんでしたが、2021年8月にスタンダール・リエージュの目にとまり、買取OP付きローン移籍という形で母国ベルギーへの復帰が決まります。

「ダウダが故郷に戻ってきてくれて、その活躍を家族全員でより近くで見ることができるようになったことは嬉しかったです。」と、ベルギーに住む彼の家族も当時を回顧しています。

こうして、トップクラブでの経験を持つダウダ・ペーテルスのキャリアは順調に進むかに見えました。

予期せぬアクシデント

Het Nieuwsblad

しかし、思わぬ悲劇がダウダを襲います。
スタンダール・リエージュでのトレーニング中、突然バランスを崩して走れなくなり、力が入らずシュートも打てなくなってしまったのです。

担当医は当初、膝窩坐骨神経への打撃が原因と考えましたが、「普段文句を言わないダウダが違和感を訴えたということは、彼に何らかの異常が生じていそうだ」という推察から検査を進めると、ギラン・バレー症候群の診断が下されました。
ギラン・バレー症候群は、感染症などをきっかけにして、免疫のシステムが異常になり、自己の末梢神経を障害してしまう自己免疫疾患だと考えられています。

ダウダはこの疾患の影響で歩行すら困難になり、入院生活を余儀なくされました。
彼は「トイレに行こうとしただけで転んで、意識を失ってしまいました。同じ病室にいた患者の中には、この病気が肺や心臓にまで達して亡くなった方もいて、僕も死んでしまうのではないかと思うと、とても怖かったです。」と当時を振り返ります。

下半身は麻痺状態となり、復帰時期も分からない状態だったダウダ。
そんな彼にとって転機となったのは、ある朝、足が動く感覚を取り戻したことでした。

ダウダは「医師が脳と足が再びつながったことを教えてくれました。そこからリハビリを始めて、毎日少しずつ歩くことを練習しました。しばらく歩けていなくて筋肉が刺激に慣れていなかったため、痛みはひどかったですが、数カ月後には筋肉も脳との連携を取り戻し、今までみたいに動けるようになりました。」と語っています。

彼の母親は「クリスマスの朝、息子が初めて歩けるようになり、部屋に入ってきたときは本当に驚きました。これ以上ない最高のクリスマスプレゼントでした。」と感激の思いを語りました。

担当医は、彼の回復を奇跡的だと評しています。
「プロアスリートがこの病気から復帰するのは極めて稀なことです。これは、彼の並外れた努力のたまものでしょう。」

Corriere dello Sport

2022年からは、ダウダのリハビリをユベントスが引き継ぎました。
クラブの対応について、「ユベントスは、所属する選手全員に責任を持ち、最善を尽くす姿勢があると感じました」と、彼の母親も述べています。

ユベントスでは、いち早くグループ練習に復帰できるように、心理的なリハビリも重点的に行なわれました。
ダウダは、「初めてチームに合流できたのは、2月でした。チームメイトも祝福してくれて、とてもポジティブな感情を抱くことができ、素晴らしい瞬間でした。」と振り返っています。

~復活~ Next Genから再び未来へ

dgmu.ru

2023年3月、ついに、ダウダは完全回復を宣言されました。
しかし、プロとしての復帰は容易ではありませんでした。
多くのクラブが彼の病歴を不安視し、新しい契約を結ぶことをためらったのです。

それでも、彼の才能を信じたセリエBズュートティロールが、2023年7月に彼を獲得し、同年9月には約520日ぶりに公式戦のピッチに立つことができました。
ダウダは、「フィールドに立てた瞬間、サッカー選手である喜びを再び感じました」と感慨深く語っています。

2023/24シーズンでは、ズュートティロールで19試合に出場し、確かな存在感を示しました。
そして、ローン移籍が満了した2024年6月、ダウダはユベントスNext Genに復帰します。

彼は現在(2025/01/22時点)、オーバーエイジ枠でNext Genに登録されており、再びユベントスの一員として奮闘しています。
「私の物語は、人生は何でも可能であるということを示すものだと思います。イタリアはもう第二の故郷です。理想を言えばセリエAやセリエBでプレーし続けたいですね。」と語り、さらなる飛躍を目指しています。

過去に”ユベントスのトーマス・パーティー“と称された逸材は、数々の試練を乗り越え、再び未来を切り開こうとしています。その挑戦は、彼自身だけでなく、多くの人々に希望を与えるストーリーとなっています。

おわりに

SO FOOT.com

選手育成という視点では、しばしば「輩出した選手の質」「経済的利益」といった成果に注目が集まります。
多くのクラブでは、下部組織の成功は、大規模な練習施設や最先端のトレーニング技術に支えられた環境がいかに若者の才能を開花させるかにあると考えられがちです。
しかし、ダウダ・ペーテルスの物語は、選手育成においてそれと同等の、あるいはそれ以上に重要な要素を示しています。

どれほどの才能を持った若手であっても、キャリアの途中で予期せぬ困難に直面する可能性は常に存在します。
怪我や病気、あるいは伸び悩みといった要因によって、将来を嘱望された選手が思うように活躍できなくなることは珍しくありません。
そんなとき、クラブがその選手にどのように寄り添い、どのようなサポートを提供できるかが、優れた下部組織を判断する基準の一つではないでしょうか。
ビッグクラブの下部組織であっても、下部組織は教育機関です。

ダウダが再びユベントスの一員として奮闘していることは、クラブが彼に対する責任を放棄しなかった証拠です。
病気からの回復を支え、通常であれば30代のベテラン選手にあてられるはずのNext Genのオーバーエイジ枠を用意して再起の機会を提供し、キャリアの再構築をサポートするユベントスの姿勢は、単に才能を育てるだけではなく、その選手の人生に対する深い責任感をも示しているといえるでしょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました